線形変換の2つの見方
ベクトル空間 からベクトル空間
への線形変換
は、本質的には、
の基底の集合
の像で決まるので、
から
への写像全体」--- (1)
と
「
から
への線型写像全体」--- (2)
は、本質的に同一であり、それぞれの要素の間には 1:1 の対応が付けられます*1。
この時、(1) においては、 はベクトル空間であることは忘れて、単なる集合間の任意の写像を考えている事に注意してください。この点を明確にするために、ベクトル空間
の要素を集めた集合(つまり、要素間の演算の事を忘れ去った集合)を
と表すことにして、(1) を
から
への写像全体」--- (1)'
と書き直すことにします。また、 が張るベクトル空間を
という記号で表すことにすると、
となるので、(2) は、
「
から
への線型写像全体」--- (2)’
と書き直すことができます。(1)' と (2)' の要素の間に 1:1 の対応が付けられるという事実を
--- (3)
という記号で書き表します。
実はこれは、圏論で言うところの「随伴関係」の一例になっています。
(1)' では、集合間の任意の写像を考えることができる代わりに、写像の定義域が「基底の集合」という制限された集合になっています。一方、(2)' は定義域も値域も一般的なベクトル空間である代わりに、その写像には「線形性を満たす」という制限が加えられています。このように本質的に同一の「変換」に対して、2種類の異なった「見方」を与えるものが、圏論における随伴関係と言えるでしょう。
「ズレ」が無い場合の変換(関手)
上述の (1)' では、写像の定義域と値域にちょっとした「ズレ」がある点がポイントですが、2つのベクトル空間の基底同士を直接に対応づけて、
--- (4)
という「ズレ」の無い写像を考えることもできます。ここで、 と
は、それぞれ、異なるベクトル空間の基底の集合としてください。この場合も、それぞれの基底が張るベクトル空間
と
の間に、対応する線型写像が決まりますが、これを
という記号で表すことにします。
--- (5)
こちらは、圏論の世界では、「関手」と呼ばれる関係性になります。基底の集合をそれらが張るベクトル空間に変換する操作 は、それと同時に、基底の集合間の写像
を対応する線型写像
に変換する操作を生み出すというわけです。
なお、先ほどの随伴では、あらゆる線型写像が網羅的に 1:1 対応できていたのに対して、こちらではそのような対称性はありません。定義域と値域、両方のベクトル空間で特定の基底 と
を定めてしまうと、これらの間で表現できる線型写像は限定的なものになるので、(4) の世界の写像で (5) の世界の写像を網羅することにはなりません。つまり、(4) の世界から (5) の世界への変換はできても、その逆変換はできないのです。
それでは、ベクトル空間を単なる要素の集合に変換する操作 について、同様のことを考えるとどうなるでしょうか?
まずは、2つのベクトル空間の間の線型写像を考えます。
--- (6)
そして、それぞれのベクトル空間を単なる集合と思い直せば、写像 はそのままの形で、集合間の写像と思い直すことができます。これを
と表すことにしましょう。
--- (7)
これもまた、「関手」の一例となりますが、ここでもまた、随伴のような対称性は失われています。(7) は単なる集合間の写像ですので、(7) の世界で考えた写像の中には、線型写像にならないものもあります。先ほどと同様に、(6) から (7) への変換はできても、その逆はできません。随伴は、逆向きの2つの変換 をうまく「入れ子」にすることで、対称性を作り出していると言えるでしょう。
随伴関係の Naturality
随伴関係では、2つの世界の写像の間に 1:1 の対応関係がありました。そこで、(1)' の世界の写像 から決まる (2)' の世界の線型写像を
で表す事にします。同様に、(2)' の世界の線型写像
に対応する (1)' の世界の写像を
で表します。反対方向の対応づけに同じ記号
を使うのは、ちょっとよろしくないかもしれませんが、もともと 1:1 対応することが分かっているので、特に混乱することはないでしょう。(行列の転置記号のようなものと思えばよいかも?)この記号を使うと、当然ながら、
が成り立ちます。
この記号を用いると、随伴関係とそれを構成する2つの関手には、ある自然な関係が成り立つことがわかります。たとえば、
--- (8)
--- (9)
という随伴の意味で同等な変換があった時、この変換の手前に、
という関手の世界での変換を付け加えてみます。
--- (10)
--- (11)
この時、(10) の世界の合成変換 を考えると、対応する (11) の世界の線形変換
はどのようなものになるでしょうか? 落ち着いて考えると分かるように、
--- (12)
が成り立ちます。(基底ベクトル の最終的な行き先が同じになることが確認できればOKですよね。)
同様にして、(8)(9) の後ろに、
という変換を付け加えてみます。
この場合は、合成変換 に対応する線形変換を考えて、
という対応関係が成り立ちます。(12) と見た目が違うのが気になる場合は、 と置いて、
の関係を使うと、
--- (13)
と書き直すこともできます。
圏論における随伴関係では、一般に、(12)(13) の関係が成り立つことも随伴であることの条件として含まれます。
行って帰ってくるとどうなるか?(unit / counit)
随伴関係の 2 つの関手 は 2 つの世界を行ったり来たりするものですが、行って帰ってくるとどうなるか?という素朴な疑問が湧いたりもします。どういうことかというと、さきほどの (8)(9) で、
として、(9) の世界では単純な恒等変換
を取ってみます。
--- (14)
--- (15)
この時、対応する (14) の世界では何がおきているのでしょうか?
まず、 というのは、ベクトル空間
から演算を忘れたものなので、集合としては
と同等でした。また、(14) の世界は、(15) の世界における線型写像から、基底の像だけを取り出したものですので、恒等変換
に対応する写像
は、単純に、恒等変換
の定義域を基底だけに制限したものと考えればOKです。
まあまあ、シンプルですね。
これは、 で行って
で帰ってきた場合の話ですが、では、その逆に、
で行って
で帰ってくるとどうなるでしょう? こちらはちょっと複雑ですが、なかなか興味深い結果になります。
ちょっと病的(?)な操作にも思えますが、まず、さきほどの (8)(9) で、 と置いて、(8) の世界で恒等変換
を取ります。
--- (14)
--- (15)
はベクトル空間
のあらゆる要素を集めた集合ですので、(14) は、ベクトル空間
の恒等写像と本質的には同じものです。一方、よくわからないのが、(15) にある
です。
というのは、集合
のそれぞれの要素を基底として、これらが張るベクトル空間を考えたものでしたので、今の場合、ベクトル空間
のあらゆる要素を(ベクトルという事実を忘れた、単なる集合の1要素と思って)独立した基底ベクトルとする、(無限個の基底ベクトルからなる)無限次元のベクトル空間が
になります。
むむむ。どういうことでしょう。
たとえば、 の中には、
と
という2つの要素があります。
の中では、これらは「独立した基底ベクトル」とみなされるので、線型結合
は、これ以上簡単にすることはできません。もとの
の世界であれば、
という計算ができるにも関わらずです。なんだか、病的に「膨れ上がった」世界のようです。
そして、(15) の変換 は、この膨れ上がった世界
の要素を元のベクトル空間
の要素に変換しているようですが、どのような変換でしょうか?
(14) の世界は、「基底ベクトル」の行き先を表すことを思い出すと、上記の の世界の基底ベクトル
はそのまま、
の世界のベクトル
に移る事になります。そして、
は線形変換であることから、先ほどの
の行き先は、
--- (16)
という結果になります。
え?やっぱり恒等写像?
いいえ。違います。
(16) の右側は、ベクトル空間 ですので、左側の
と異なり、
と
はもはや独立な基底ではありません。普通に、
の要素として、
という計算ができてしまいます。
つまり、 は、
の要素を
の要素と思い直して、「膨れ上がった世界」を元の
の世界に戻してしまう(
の世界での演算を許す)という操作に対応しています。
いやー。なんだか面白いですね。
一般には、随伴関係 があった場合、
で決まる写像を Unit、
で決まる写像を counit と呼びます。これらは、さらに圏論で言うところの自然変換になっていて、三角恒等式を満たして・・・・という面白い話があるのですが、ここから先は、ぜひ、ちゃんとした圏論の教科書で学んでみてください。随伴については、下記の教科書がおすすめです。
*1:本来は などと表記するべき所ですが、
の意味を過剰に読み取ろうとすると混乱するので、あえてシンプルに表記しています。